DCEUを一通り観終えての感想

 5月の頭から観ていたDCEUだが、ワンダーウーマン1984で取り敢えずの区切りを見た。次は8月公開予定のザ・スーサイド・スクワッド。予定通り公開されるのを願うばかり。

 実はDCEUだけ観てたわけじゃなくて、バットマンダークナイトトリロジーやらJOKER、他にもショーシャンクの空にだとかの名作映画を挟みながら鑑賞していた。理由は後述。ひとまず各作品について数行程度の感想を書いていく。

 

 まずマン・オブ・スティール。これがMCUのオリジン映画に負けない、むしろ勝てる面白さだった。クリプトン人としての特殊な背景を持つクラーク・ケントの人物像を、現在・過去のシーンを交互に入れ替えながら描いていて、どっぷりと感情移入できた。もし前半はずっと少年時代、後半になって青年時代という単純な時系列だったならば、前半の絵面が地味なものになって退屈していたかもしれない。現在と過去の物語が両輪となって同時に進むことでクラーク・ケントという人物に観客を惹き込む原動力を生み出していたのだと思う。あと、これはあまり他の人が言っているのを聞いたことはないが、自分は頭を働かせる必要のある映画が面白いと感じる(もちろん十分条件でも必要条件でもないが)。過去と現在の断片的な描写を頻繁に交互に入れられると、頭の中で2つのストーリーラインを追うことになる。それぞれで前の描写を記憶しておき、繋げる作業が必要になるし、2つのストーリーラインは互いに関連したトピックを扱うからそこの関係を時系列を考慮して読み取らなければならない。実は過去の描写が冒頭の1シーンのセリフに繋がったりするのではないか、など。こんな具合に、今目の前に描写されているシーンをただ流れるに任せて漫然と見るのではなく、同時に脳内でそれまでの映画での出来事、内容をすべて組み立て、登場人物の心情など含め理路整然とさせる処理をしなければならない。特にクリストファー・ノーラン作品はそういった頭をフル回転させないといけない作品が多く、インターステラーなら時間の相対性と重力、TENETなら一体眼前で何が起きているのかを常に考えていかないと物語をキチンと理解できなくなる。マン・オブ・スティールもまさにクリストファー・ノーランが携わっているため、そういった作品に仕上がったのだろう。そしてそういう映画を自分は好んでいる。
 また特筆すべきものとしてハンス・ジマーの劇伴がある。これまでアメスパ、パイカリ、ノーラン作品と何度も目にしてきたし耳にしてきた作曲家だが、今回もご多分に漏れず印象に残る曲になっている。スーパーマンのテーマ曲「Fligt」はもう何度もリピートして聞いているし、DCEUの中でワンダーウーマンのテーマ曲と双璧をなしていると思う。
 そして圧巻の戦闘シーンを生み出したザック・スナイダー!(多分) 緩急のついてるド派手なカメラワークはともすれば単調になりがちな戦闘シーンに魅入らせてくれた。ヒーロー映画の見過ぎで、戦闘シーンなんかは割と一回頭の中を整理するための休憩タイムになってしまうことが間々あったけど、この作品に関しては一瞬たりとも目を離したくないほどに魅せてくれた。

 

以上がマン・オブ・スティールを思い返してみてのざっくりとした感想。数行と言いつつかなり書いてしまったので、DCEU感想の続きは記事を変えたいと思います。次回は「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生」から。上で褒めちぎった三人が続投していてさぞ面白いだろうと思ったのになぁ。