DCEUを一通り観終えての感想(2)

 前回の続き。今回は「バットマン VS スーパーマン ジャスティスの誕生」から。

 

 一言で言ってしまうと「がっかり」だったのですが、以下感想です。冒頭ブルース・ウェインの両親との日常シーンと葬儀シーンが交互に描写されることで、よりブルースの悲壮感をひしひしと感じた。前回も書いたようにこういう交互に描写するのは少なくとも自分には効果的なんだなと。その後はマン・オブ・スティールのクライマックスシーンを一般市民からの視点で描いており、あのワールドエンジンによる重力波のようなもの、とてもあの状況から生き残れる気がしない絶望感がありありと描かれていた。
 正直な話、ここまでがこの映画のピークだったかもしれない。映画の一般的な構成として序盤で観客を惹きつけて、その次に心情描写などこれから起こるものへの布石、下拵えである"静"のパート、最後に事態が一気に動く"動"のパートがあると個人的に思うのだけど、この「バットマン VS スーパーマン」は序盤こそ惹き込まれたものの、その後の"静"のパートがよく分からなかったので、肝心の"動"のパートに乗りきれなかった。たとえばバットマンがスーパーマンに対して抱く感情は、社員や自社ビルを滅茶苦茶にされた怒りなのか、制御不能な人類の脅威として正義感から排除しようとしているのか、両親の死のトラウマと関係あるのか結局どれなのか全く分からず、なぜあそこまでスーパーマンを殺そうとしているのかが伝わってこなかった。スーパーマンについても同様で、母親を人質にとったからバットマンと戦え、と言われてなぜそう素直にバットマンと戦うのか。スーパーマン程の能力があるなら大体のことはゴリ押しで解決できそうなものを。もう一つ、紛争地域で捕まったロイスを助けたら途端に傭兵?が現地の武装組織を射殺、それがなぜかスーパーマンのせいになり国民がスーパーマン不信になるのだが、この繋がりが正直理解できなかった。映画で観ているこちらは殺したのはスーパーマンじゃないことを観て知っている訳だから、いつの間にか犯人がスーパーマンにすり替わって非難されていることに困惑した。最後に黒幕であるレックス・ルーサー Jr.についても動機や手段、目的が不明だった。なぜスーパーマンバットマンをぶつけたいのか、スーパーマンは神なんかじゃないことを証明すると言っていたが、なぜそんなことに労力を割くのか納得する理由が見つけられず、ただバットマンとスーパーマンをぶつけさせるための舞台装置としか自分には映らなかった。さらにはなぜゾット将軍の死体とレックスの血液を混ぜるとドゥームズデイが生まれるのか、レックスはそいつを生んでどうしたかったのかも謎で、ドゥームズデイもただ映画のラストバトルを飾るために脚本の都合上生まされたようにしか受け取れなかったので、ラストバトルには感情移入もなにもできず。ただ派手なバトルシーンだけ繰り広げられても心がついていかなかったら興奮も何も沸いてこないというもの。自分の理解力が未熟だということは弁えているつもりだが、今作に関しては他人の評価を見る限り残念な映画であることは間違いないようだ。ただアーマード・バットマンの造形は好きだし、ワンダー・ウーマンのテーマ曲は耳に焼き付いたので悪い点ばかりじゃない、むしろ"静"のパートさえキチンと描写してくれたならば名作になった佳作という印象だった。

 

今回も書きすぎてしまったので続きは記事を改めます。次からはそんなに書くことないのではないだろうか。