「君たちはどう生きるか」初見感想

 


君たちはどう生きるか」を観て来たので、他の人の感想やらが目に入ってしまう前に、初見の新鮮な感想もとい考察を残して置きたいと思います。

ちなみに見たのは昨日なので、今この記事を書いている時点で既に記憶が曖昧な箇所があるかもしれませんが、ご容赦くださいまし。(書き終わる頃には一昨日になっていました)

 


まず、どういう物語の構造だったの?というお話ですが、以下のようなことだったと思います。

1. 不思議な力を持った石(=隕石)が宇宙から降ってくる

2. おおおじ様が石を発見し、その魅力に取り憑かれる

3. おおおじ様は石から力を貰い、「俺が考える最高の世界」を作り上げる

4. だが全然思い通りにならない。自分も死期が近づいている

5. 跡継ぎ募集中だが、石との契約で自分の子孫にしか継がせることができない

6. そこで青サギを使って子孫を石の世界に連れ込む

7. 眞人くんに目を付けるも、あえなく断られる

8. しかも乱入してきたハト王が石の積み木(=世界)を叩き斬る

9. 世界はぶっ壊れて、みんな元の世界に帰りましたとさ、ちゃんちゃん

 


これを頭に入れてお話を振り返るといろいろ合点がいくところがあります。

たとえば、青サギは覗き魔呼ばわりされている程、お屋敷の周りを彷徨いていたっぽいですが、それもこれもおおおじ様の子孫を見つけて塔に誘導するためだったこと(手段が憎たらしかったですが…)。他には新たな後継ぎの誕生が妨害されないよう、産屋に入ることが禁忌とされたこと、立ち入ろうとした眞人やヒミ様が石に攻撃されたことなど…。

 


特にこのお話の理解に重要そうなのが、「3. おおおじ様は石から力を貰い、「俺が考える最高の世界」を作り上げる」のように思います。

おおおじ様の「俺が考える最高の世界」とはどんな世界だったのか、そしてなぜ作ろうと思ったのかについて自分なりの考えを書いてみたいと思います。

おおおじ様が作りたかった世界はおそらく、悪意や残酷さのないおとぎ話のような世界だったのではと思っています。眞人くんと若キリ子さんが釣り上げた魚を買いに来ていた黒い影のような人たちが居たと思いますが、彼らはキリ子さん曰く殺生ができないそうです。それは彼らがおとぎ話の住人、つまり現実世界の残酷な食物連鎖を持ち込みたくなかったおおおじ様によって作られた、この世界の原住民だからなのではないかと思っています。この世界の原住民は殺生ができないように作られているのではないでしょうか。

 一方で人間は魚を、ペリカンはワラワラを、インコは人間を殺して食べる(or食べようとする)描写がありました。殺生できないんじゃなかったのかという話ですが、ここで、ヒミ様に焼かれ、死にかけていたペリカンの言葉がヒントになる気がします。いわく、彼らはこの世界に「持ち込まれた」のだそうです。であればあのインコたちも同様なのではないでしょうか。つまり人間、ペリカン、インコはすべて元の現実世界の住民なのです。(そうであると、エンディングで現実世界に出ていった彼らが私達に馴染みの鳥の姿になったのも納得がいきます)そんな彼らに殺生ができないというルールは通用しなかった、これがおおおじ様の誤算だったのではないかと思っています。もしかしたらペリカンやインコは元々この世界に色彩的な美しさをもたらすためだけに持ち込まれたのかもしれません。ですが飢えたペリカンはワラワラを食し、ワラワラを助けるためにヒミ様がペリカンを焼くことに。けれども全てのワラワラを助けることはできないので、多数を生かすために止む無く少数のワラワラを犠牲にする。あっという間におとぎ話とはかけ離れた残酷な世界の出来上がりです。ついでにインコも人間を食すし。

 おおじじ様もなんとかこの世界を維持しようとしていますが、石の積み木は今にも崩れそうでした。それは既に世界が地獄のように歪んでしまっているからだったのではないでしょうか。石の世界に入った眞人くんが若キリコさんと見た、(なんだか崖の上のポニョを彷彿とさせる)大量の船。それらを存在しない幻とキリコさんは形容しましたが、あれは同じようにそうして壊れてしまった、前の世界の残骸なんではないでしょうか。終盤の緑の丘に大量に転がっていた積み木(石)も、作っては壊れてしまった世界の数だけあるのでは、と自分は思いました。

 では、なぜ作った世界が悉くうまく行かないのか。それを考察する前に、なぜおおおじ様は「俺が考える最高の世界」を作りたかったのか、(自分の考察通りなら)なぜ悪意や残酷さのないおとぎ話のような世界を作りたかったのかに目を向けたいと思います。答えは単純に、現実世界の悪意や残酷さに打ちのめされたからではないでしょうか。なぜ世の中こうなっているのか、こうなってしまうのかという感情を抱いたことは自分も多々あります。今の世の中を見渡せば目を背けたくなることばかりです。誰かのエゴ・悪意で無辜の人々が不条理に殺される、不運な事故・病気で人が死ぬ、家畜が殺されるのに心を痛めながら、その肉をうまいうまいと言って自分が食べていることも。おおおじ様も同じようなことを感じ、それらのない世界を作りたかったのではないかと思います。現実に戻ろうとする眞人くんへの、「あの戦争で焼かれるだけの世界に戻るのか(意訳)」というセリフもその裏付けになりそうです。

 ですが眞人くんは自分にも悪意があるから、と後継者になるのを拒み、元の世界で生きていくと宣言しました。これは悪意のない世界に自分はふさわしくないと言うよりも、自分は元の残酷さや悪意、不条理のある世界で生きていくんだ、という前向きなものだったように思えました。

 これは現実の世界を生きている自分にとってなんだかエールを送られたような気がしました。自分も時には空想の世界に逃げ込みたくなるものですが、でも漫画やアニメの中の恋愛ではなく現実の恋愛をしたいですし、幸せな夢を見るよりも現実で幸せになりたいものです。結局のところ、自分は本当はいくら悪意に満ち、残酷だとしても現実の世界に生きていたいんです。ですからハト王によって空想の世界が壊され、現実世界に戻ってくるシークエンスはこの気持ちを代弁してくれたようで、僕にとって清々しいものでした。(清々しさで言えばシン・エヴァのラストに近いものを感じました) ではそんな世界でどう生きるのか。それは探りながら生きていくしかないんでしょうね、というのが僕の気持ちです。未だに模索中ですし。眞人くんはすぐ見つかったっぽく、そんな世界でどう生きるかを問われ、友達を作る、大切なものを作ると言っていました。

 


 ところで空想の世界で生きていくのも悪くないじゃないか、という向きもあるかもしれません。でもこの映画では、そんなしがらみのない空想の世界は作れないと言っているように僕には感じられました。生物あるところ、本能的なものに限らず、欲求を満たすために必然的に捕食関係・利害関係が生まれてしまう気がします。ペリカン達だけではなく、ワラワラや黒い影たちも結局魚の肉を必要としていましたし、残酷さのない優しい世界なんて本質的に作れないのかもしれません。昔、本映画にも出てきた小説「君たちはどう生きるか」を読んだことがあるのですが(もちろんうろ覚えなんですけど)、社会は数多の個が織り成していて、その個間の関係性について示唆的に語っていたような気がします。その関係性の中には悪意や優劣、捕食・被捕食などもあるでしょう。これら無数の個同士の関係性すべてを優しいものに染め上げようだなんて土台ムリな気がするのは僕だけでしょうか。けれどそれこそおおおじ様が望んでいたものであり、小説を読んだ眞人くんには響かなかったものなのだと、僕は思っています。

 


以上が映画を見ての僕の一番の感想です。もちろん記憶違いであったり、映画の意図とズレているところもあるでしょうが、そもそもそれを含めて感想というものなので、突っ込まないでくださいまし。

 


その他細々としたところの感想・疑問・考察です。

 


・アニメーションがすごい

今更ですけど、ジブリのアニメーションって躍動感がすごいですね。

なぜ他の日本のアニメではこのアニメ表現を見ないんだろう、とすこし疑問に思いながら鑑賞していました。

自分があまりアニメを見ないだけ?

 


・お父さんの性格

現代ならバッシング受けそうな父親です。男は力と金だ、と言わんばかり。
でも息子を思う気持ちは本物なので嫌いになれない感じです。
しかし、姉妹でいただくとは節操のない人でもあります。

 


・眞人くんはなぜ自分の頭を石で殴った?

正直、はじめはなんの独白も展開もないので意味が分からない、というか考えられる理由がたくさんあって分からなかったのですが、最後の最後でこの傷は悪意から付けたと言っていたので、おそらく喧嘩の傷をわざと重傷にして親あるいは学校レベルの大問題にしてケンカ相手を懲らしめてやろう、ということだったんではと思っています。はじめはズル休みのため?とか自分の不甲斐なさを戒めて?とか色々考えてましたけど。

 


・なぜ木刀は直っていた?

ストレスフルになった眞人くんが青サギに挑み、噛み砕かれた木刀。いつの間にか直ってましたけどあれはなぜなんでしょう。

自分は実はバアヤたちがこっそり直したんではないかと思っています。お屋敷の人たちは青サギや屋敷にまつわる不可思議な現象から坊っちゃんを遠ざけたかったがために、青サギとの出来事を夢だと思わせたかったんじゃないかと思ってます。

まぁ自分でも違う気がしていますが。だってもしそうなら新しいの買えばよくね?とか隠して元々なかったことにすればよくね?とか思いますし。

 


・かぜきりの七番?なぜそれが弱点?なぜ飛べなくなるの?

まじで分かりません。だれか教えてください。
あと、射られて空いた穴は傷をつけた本人に塞いでもらわないといけないって、なんでです?
優しい世界だから?自分でやったことは自分でごめんなさいしないといけないみたいな。

 

 

 

・石の世界にあった墓とはなにか。

「我ヲ学ブモノハ死ス」
物語の後半で回収されると思っていたんですが、一度出たきりそれ以降触れられず。結局なにも分かりませんでした…。
地下への入り口っぽいものの上に巨大な岩が乗っかている、みたいな建造物でした。
岩は終盤に緑の丘に浮いていた石に似ていたような…。なにか見落としている気がします。
死の扉の内側に入った眞人くんに若キリコさんがお祓いをしたり、後ろを振り返ってはいけないと言ったり、儀式めいたこともしていましたが、どうにも意味するところが分かりません、なんか千と千尋っぽいね、ということしか。

 


・ワラワラが上の世界に生まれ変わる?

これ実は嘘なんじゃないかと思っています。だって石の世界っておおおじ様が作り出したものであって、現実世界の自然の摂理に関わっているとは思えないんです。でも、魂っぽい見た目の生き物が天に上って転生するのって、なんかおとぎ話っぽくないですか?だからおおおじ様がそういう設定ということにしたんではないかと疑っています。というかむしろ、あれは石の世界が死後の世界だと思わせるミスリードなんではないかとすら思っています。

 


・バアヤたちの木彫りの人形

若干のホラー要素。眞人くんを見守っているらしいですが、なぜに父親の人形はないのでしょう…。
ラストを見るにキリコ(老)は木彫りの人形になっていたみたいですが、なぜに?
確かに若キリコと老キリコで二人いると困りますけど。

 


・木と石、火と水の対比

眞人くんが積み木(石)のことを冷たく、悪意があると言っていました。
ラストにはキリコ(老)の木彫人形と積み木(石)の破片を意味ありげに手にしていました。
木彫人形が見守ってくれる存在なら、石と対比してそれは温もりを象徴していそうです。
同様に水は冷たく、火は温かいです。ヒミ様や若キリコは火を操り、石の世界は一面海でした。
眞人くんの母親は火事で亡くなり、青サギによって石の世界に連れて行かれるときは水の中に引きずり込まれるような演出でした。
正直だからなんなのかということは見当付きませんが、火や木は生命・善意を、水や石は死・悪意を暗示していると捉えるのは安直ですかね。

 


・青サギはなにもの?

彼はかなり特殊な存在な気がします。現実世界にも石の世界にも他にあんなやつは居ません。
現実世界でも石の世界での記憶を持っていますし、現実世界に行ったからと言ってインコたちのように姿は変わりません。
そもそも生物としての構造が謎です。青サギの皮の中に人が入っているだけのように見えるくせに、青サギのように優雅に飛びます。何だこいつ。てかポスターのキリッとしたビジュアルはなんだったんだ。

 


宮崎駿の心

この物語、場合によってはフィクションから抜け出して現実世界に生きよう、という宮崎駿がフィクション作品を全否定したと捉えかねない気がします。おおおじ様 = 宮崎駿で、フィクションにけじめをつけたといったようにも。
でも、正直そんなことは自分には知りようもありません。作品の感想というのは、自分自身の中にあるものなので好き勝手に語れますけど、その作品を通して作者がなにを考えているだとか、そんなことは宮崎駿のことをロクに知りもしない赤の他人である自分が推し量るようなことではないと思っています。彼はこう考えている、などと推測であってっも語るのはむしろおこがましいくらいです。ので知りません。

 


・都市伝説

???「実はこの物語、不可思議な現象が起きだしたのって眞人くんが自分の頭を石でかち割ってからなんだよね。つまりこの後起きた出来事は全部彼の妄想ってこと。じゃなかったらわざわざ石で自分殴る描写なんていらないよね? 信じるか信じないかは、あなた次第。」

 


以上「君たちはどう生きるか」の初見感想でした。