ネタバレ回避

映画や漫画・ゲームが好きな自分の大敵、ネタバレ。

 
何の気なしに覗いたサイト、ツイート、YouTubeのコメント欄、Googleの検索サジェスト etc.。
正直完璧に防ぐ方法はネット断ちくらいのもの。けどネット無しは不都合なので対策をしながら見てるってのが現状。
例を挙げれば、
Twitterのトレンドを辺ぴな国に設定
掲示板関連のサイトをシャットアウト(悲報〇〇死亡!!とかうんざり)
ニュースはヤフーじゃなくNHKで確認
YouTubeの視聴履歴をオフにしておすすめを初期状態のままにする
ネタバレの香りのするコメント欄は読まない
等々。
 
リアルでだって、電車の隣の席で話してる高校生の会話でネタバレを喰らうかもしれないけど…。
 
 
ネタバレのなにがいけないかって、それは制作者の意図したコンテクストから外れていること。これは娯楽の楽しみを大いに損なう行為であると思う。
 
ここでいうコンテクストには2つの意味があって、一つは作品内の物語のこと。その展開に行き着くまでの話の流れやセリフ、演出などがキチンとお膳立てされていることで、見開き一杯のコマに感動したり、Avengersのテーマ曲が流れたりしたときに興奮できる。
もう一つは、制作者がその作品をどうやって消費者に届けるかという意味でのコンテクスト。映画なら映画館で観ることを想定された作りだから、映画館で観れば迫力満点で楽しめる。けれども家で観てしまうとその迫力を味わえない。漫画も単行本の最後に盛り上がる展開を入れるようにしていることが多いから、実は単行本で読んだほうが週刊で読むより楽しめたりする。
 
 
制作者が心血注いで丹精も込めて考え、作り上げたコンテクストに則るのが作品を一番楽しむ方法であって、それを"悲報〇〇死亡!!"などの陳腐な言葉で害するネタバレは絶許。
 
 
ネタバレは絶許なわけだけど、世の中にはネタバレが溢れている。Twitterのタイムラインに流れてくるかもしれない。そこで、単行本発売まで漫画のネタバレツイートをしないで!とかネタバレ含む投稿するときはネタバレ注意ってつけて!配慮して!って人がいる。確かにネタバレ配慮してくれるのは嬉しい。けれどもツイートする側だって、感想を言いたいだろうし、友達と語り合いたいだろう。それをこっちの都合でやめてって言うのはおこがましいと思う。(悪意を持ってネタバレしてこようとする人にはそれはやめて、とは言えるが。) それに大勢の他人に行動を強制するのはあまりに非現実的だし。たとえば体育館に3千人の人がいて、一人になりたい気分の時、「一人になりたいからみんな私に近づかないで」なんて叫んだところでかき消されるし、言うこと聞いてくれるのなんてたかだか数人。それならさっさと自分が体育館出るほうが楽というもの。
 
だからこそ、ネタバレ回避の基本方針は自衛で、周りの人がネタバレ配慮してくれたら感謝というのが、僕のスタンス。
 
最後にネタバレを食らってしまっときの自分なりの対処法について。自分がやっている自衛法とかは上にも挙げたけど、それでも不注意だったり思わぬところでネタバレを食らってしまうことはある。そんなときはまず最悪の気分になり、不注意を反省し、今後気をつけようと誓う。そして、このネタバレはデマだと自分に言い聞かせる(実際デマの場合はある)。あるいは「〇〇死ぬ」というネタバレがあったとすれば、普通に生物的に死ぬ、社会的に死ぬ、精神的に死ぬ、使い物にならなくなる、という「〇〇死ぬ」からだけでは断定できない可能性を無数に考え、ネタバレを決定的なものにしない。また小さいネタバレなら時間を置けば意外と忘れていたりする。いざそのシーンになったときに思い出す程度。
けれども、そのどれもが通じない、忘れられない衝撃的な内容、決定的な証拠を持ったネタバレに関してはもう諦めて、どうしてそうなるのか過程を楽しみましょう。