電子書籍VS紙
ささやかなる反撃
この間映画館で映画を観た。その時にあった話。
高校物理で嫌いだったこと
大学に入ってから興味本位で物理に関して広く浅〜〜い知識を学んでみて思ったことは、物理は世の中の自然現象を説明できるようモデル化したものにすぎなくて、世界の真理なんかではないということ。
Marvel's Spider-manの恩恵
このゲームやった恩恵の一つは、ニューヨークの土地勘を大雑把に得られたこと。怪獣映画なんかでニューヨークが蹂躪されてたりしても土地名とか分かるからどういう状況か把握しやすい。脱出するのになんで陸路じゃなくて橋を渡んの?って理由もわかるし。ニューヨークは島ですもの!
ハンターハンターデビューしたかった
ハンター×ハンター1巻の無料立ち読みを読んですごいおもしろかったんだけど、既刊全巻揃える金なかったから、ハマってしまったら新刊出なくて生殺しになる!ってのをむりやり理由にしてそれ以上触れないようにした。それが4,5年前。今じゃもうぼんやりとしか話を覚えてない。
でもやっぱり興味あって、じゃあもうアニメで見ようかと思って今さっきアニメの1話を見たんだが、10分経たずに視聴をやめた。なんだかすごい違和感があった。俺が昔読んですげー面白いと思ったのってこんなんだっけ?ってなった。
まず冒頭、「珍獣・怪獣、財宝・秘宝、魔境・秘境。未知という言葉が放つ魔力。その力に魅せられたすごい奴等がいる」的な語り。すごい??ってなった。渋い声で急に、すごいとか幼稚な言葉発せられて、ん?ってなった。それまでの語りとの落差よ。ここはまあ別にそういう演出なのかなとか思って流したけど。
てかその前にOPだ。これどこ向けなんだ一体。ダサいし。ハンターハンターって別に男児向けの健全な作品ではないと思ってたんだが。まぁ実際に読んだことないから印象だけだけど。あれじゃデジモンかと思うよ。
BGMもなんか微妙だし。通販番組の「おお~~~!」並みに違和感あった。
その後も見てたけど、こんなんだっけ?が常に頭の中にあって、もっと原作面白くなかったっけって思いが積もっていって、決定的になったのが船出のシーン。村人が総出で見送るシーンなんだけど船からゴン一人だけ顔だして手を振って、港ではなんだか知らんぽっと出の人が思い思いの表情でいかにも見送ってますって感じのありきたりな顔してて、なんだこの陳腐な演出はとなった。これ絶対アニオリだろと。で、ゴンが急に、「俺、世界一のハンターになるから!」とか言い出すの。急にどうした、世界一だなんてそんなこと一度も言ってなかっただろ。ルフィじゃあるまいし。
ここで視聴終了。ネットの無料立ち読みで1話を読んでみたら、まあ違うね。すごい奴等なんて言ってないし、ミトさんのキャラの描き方もアニメとぜんぜん違う。ミトさんが嘘ついてたのわかってたゴンとかそういう描写大事でしょ。その時の台詞回しもいいし。そしてやっぱり世界一のハンターなんて一言も言ってなかったね原作では。立派なハンターって言ってましたよ。そう言う理由も父親への憧れからかなって思えるように描かれてたし。
もうアニメで観るのはやめることにしました。導入部は改変多いのも仕方ないのかもしれんけど、あんなレベルじゃこの先安心して見れない。
色々大人の事情ってものがあるのかもしれんが、なぜ凡人が天才の描いた作品を改変するのか。しかもあんな下手くそに。そのままでよくね?ってのが原作厨な僕の思い。
高校生の頃の思い出
高校生の頃はバスから地下鉄に乗り継いで通学していた。目的の地下鉄駅に行くバスは二種類あって、一つ前の地下鉄駅から来る便と目的の駅から来る便(環状線)。前者をA線、後者をB線として、僕が最寄りのバス停につく時間帯にはまずB線がやってきて、その数分後にA線がやってきていた。先にくるB線はいつも混んでいて座れないこともしょっちゅうだったから、僕はあえてB線を見逃して数分待ってからA線に乗っていた。
ここまでなら別に語るような思い出でもなんでもないんだけど。
いつも自分より少し早い時間にバス停に来て、僕と同じようにバスを一本見送ってから次の便に乗る四, 五十代のサラリーマンのおっちゃんがいた。外見は森永卓郎みたいで、僕と同じか少し小さいくらいの背丈だった。
だからたまに僕が少し家を出るのが遅れて、バスをどっちとも乗り過ごすかもと焦って、実際バス停に全然人が並んでいないときでも、そのおっちゃんがまだバス停にいたら間に合ったと安心できた。だけど冬になるとバスの運行ダイヤが乱れに乱れるものだから、おっちゃんがいるからって安心できなくて、実はおっちゃんも乗り過ごしてて二人して次のバスが来るまで15~20分待ちぼうけを食らったりすることもあった。
そんなことを三年間ほぼ毎日繰り返していて、当時父親との距離感が結構あった自分としてはそのちっちゃいおっちゃんに父親よりも親しみを感じたりもしていた。
だけどその人とは結局一回も言葉は交わさなかった。そもそもお互い人混みを避けるためにわざわざバスを見送るタイプの人間だから、さもありなんという感じだけど。
卒業式の日、高校は私服校だったのでスーツを着ていった。その日もご多分に漏れずバス停で会って、自分の晴れ姿を見せられたのはなんだか誇らしかったのと同時に寂しい気持ちになったのをぼんやりと覚えている。でも別に挨拶だとかは交わさなかった。
言葉でコミュニケーションをとれば良かったとかは今でも全く思わない。話すと知り合いになって、毎朝気を遣わないといけなくなったかもしれない。話してみたら実はすごく嫌なおっちゃんだったかもしれない。当時どんなことを思っていたかはもう覚えていないけれど、言葉を交わすことが必ずしもいいとは今でも思えない。なにより、あの無言の関係性が僕はすごく心地よかったし。
多分まだあのおっちゃんは地元にいるだろうし、帰ったらばったり会うこともあるかもしれない。でも今会っても昔ほどの親しみはもう感じないだろうし、挨拶したり、ましてやこの一方的な感傷を押し付けたりはしないだろう。ドライかもしれないけど、それも悪くないと思う。